まずはかかりつけの診療所へ。なければ「物忘れ外来、精神科、神経内科、老年科」などの診療科に同伴し受診に付き添いましょう。そこで家族が感じている違和感を医師に率直に伝えてください。本人の様子を箇条書きにしたものを用意して手渡すと、更にいいです。忙しい医師に後から文章をまとめてもらうよりも、あなたが詳細に書き記した手紙があれば、医師も手間が省けて喜ぶでしょう。
地域包括支援センター(あなたではなく家族の)です。居住地の中学校区にだいたいひとつあります。ここでも本人の様子を箇条書きした手紙を持参するといいです。
市区町村の窓口で要介護認定(要支援認定を含む。以下同じ。)の申請をしましょう。介護保険によるサービスを利用するには、要介護認定の申請が必要になります。申請には、介護保険被保険者証が必要です。40~64歳までの人(第2号被保険者)が申請を行なう場合は、医療保険証が必要です。申請後は市区町村の職員などから訪問を受け、聞き取り調査(認定調査)が行われます。また、市区町村からの依頼により、かかりつけの医師が心身の状況について意見書(主治医意見書)を作成します。一次判定の結果と主治医意見書に基づき、介護認定審査会による要介護度の判定が行なわれます。(二次判定)申請から認定の通知発送までは原則30日以内に行なう事になっています。
勤務先の人事部に相談しましょう。年間5日、半日単位で休める制度です。使えるのは要介護状態の対象家族が1名居ること。対象家族が2名の場合は10日間利用できます。ここまでは法律(育児・介護休業法)で決められている内容ですが、企業によっては時間単位で使える場合もあるそうです。勤務先の就業規則を読んで確認してみましょう。(専門は社会保険労務士です)
要介護状態の家族介護のために使える制度で、最大93日の長期休業が使えます。(育児・介護休業法)企業の社内ルールにより期間が延長できる場合もあります。労働時間短縮や残業回避の配慮、転勤の配慮などが定められています。休業で給与が支給されない場合に雇用保険から67%の給付金が受けられます。(専門は社会保険労務士です)
ただし、「親の介護をあなたが直接行うためにこの長期休業を使う」とお思いなら待ってください。子どもの自分が介護することが一番いいと思っているなら、その考えをいったん捨ててください。あなたの仕事上のキャリアを犠牲にすることになり、あなたの今後の収入に大きな影響を与え、人生設計を大きく変える可能性もあります。また親の直接身体介助などを行う場合、あなたがするよりプロの介護士に任せるほうが安全です。あなたは半歩後ろに引いて、ケアマネージャーとヘルパーの力を借りて、親の介護をマネジメントする、そう考えてみましょう。
最近は一般の内科診療所でも認知症の相談や診断に対応してくれます。多いのは長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)で30点満点中20点以下だと認知症の可能性が高いと判断されます。他にはミニメンタルステート検査(MMSE)という30点満点で27点以下だと軽度認知障害(MCI)が疑われ、23点以下が認知症の疑いであるらしい。また、前頭葉機能検査(FAB)という短期記憶のみを審査し軽度認知障害(MCI)を診断する口頭試問ツールもあります。
これらは医師が対面で行う口頭での簡易検査で、その時の脳の働きを確かめるものです。認知症の疑いが濃厚であることと日常生活を今まで通りに過ごせるか過ごせないかの判断は全く別のことです。介護サービスを利用する際に必要な主治医意見書作成のための第一段階と考えればいいでしょう。
一方で画像診断という方法があります。脳の形を見る「形態画像」と脳の働きを知るための「機能画像」の2つに分けられます。一般に普及しているCTやMRIは形態画像で、脳の萎縮の程度や病変がどのくらいの範囲に及んでいるかなどを確認することができます。ただし画像診断は一定期間を空けて撮影した複数の画像の変化を比較して判断するものです。初回の撮影で言えるのは画像からの推測と感想です。
始めにお伝えしたいことは、あなた一人で介護を続けることはできません。頑張りすぎて無理を重ねて、あなたの人生を不幸にすることは避けてください。介護の専門家(介護ヘルパー)と介護の経験者(介護家族会)、どちらも身内ではなく他人を探しましょう。他人だから冷静に対応し助言してもらえます。概ね兄弟や親せきは押しつけたりプレッシャーを与えたりするだけです。「あなたしかいないから」なんて言われても「うるせい、黙っとけ」と心の中で呟いて、笑顔を返しておきましょう。
親が「誰の世話にもなりたくない」「他人に迷惑をかけたくない」と言っていたから、子どもの私が面倒みるしかない、そう考える方は驚くほどたくさんおられます。しかし考えてください。介護経験のないあなたがこれから勉強してプロの介護ヘルパー並みに対応できると思っていたら、それは無謀です。
あなたの親は、あなたが介護するために仕事を辞めて、収入が減り、不幸になっていくことを望んでいますか。そんな親はいません。
誰の世話にもならずに、他人に迷惑かけずに生きてきたと思っているなら、それは傲慢と言っていい。無人島でひとりで生きているわけではないのです。誰もがたくさんの他人の世話になって、迷惑をまき散らしながら生きているのです。あまりに多くの人に依存しているから、自分は自立した大人だと勘違いしてしまう。自立とは数えきれないほどたくさんの他人の力を借りて生きることです。逆に、身近な親族だけに依存している状態が続くと、互いに煮詰まり、息苦しくなってしまいます。そこからDVが生まれ、介護殺人といった不幸な事件につながってくるのです。大切なのは、他人に関わってもらうこと。多ければ多いほど、あなたもあなたの親も救われます。
数十年前、親の庇護のもとで成長し、大人になり独立した生計を立てるようになり、やがて両親は衰えて立場が逆転し始める。誰もが経験することです。経済力も判断力も備えた大人だった両親が、頼りなく思えてくると「私が面倒見なきゃ」「昔の恩を返す番だ」と考えがちです。しかし、頼りなくなっても自己決定権を持った大人なのです。一見無駄で非効率な判断や振る舞いをしていても、それは老年になった人の宿命なのです。時代遅れの肉体を曇った脳で操縦するしかない、あなたの未来の姿です。きっとあなただって、数十年先には同じような思いで、ポンコツな自分の肉体の操縦かんを握り、ため息をつくはずです。だから、危険は回避するとしても、同居している老親の失敗は見て見ぬ振りし、愚痴は聞き流しておきましょう。偉そうな忠告もあなたから言わぬことです。
最後に知っておくべき重要な事があります。同居していると生活援助の訪問介護サービスの利用が概ねできません。念頭においてください。
元気な同居家族がいる場合の生活援助の利用は、ケアマネがかなり厳しく検討し、それでも必要だと認められた場合だけ可能です。例えば、
家族が昼間は仕事のために外出している場合の、昼食調理や配膳、洗い物。
失禁が多く、トイレが汚れていて滑る危険性がある場合のトイレ掃除と、その都度の洗濯。
日中独居(介護が必要なのに日中は家族が全員外出していて、実質的には一人暮らしになっている高齢者)の場合の、ポータブルトイレの掃除。
このような理由であれば訪問介護サービスを利用することが可能ですが、それ以外の買い物や掃除、洗濯などは、家族が自分の分を行うときに一緒に行えば良いという解釈をされます。
注意すべきは、生活援助を取り入れるケアプランを立てても、あとになって市町村から介護保険を利用できないと言われては困ることになるので、事前に確認する必要があります。ただし「一律機械的にサービスに対する保険給付の支給の可否について決定することがないよう」「介護疲れが著しくて共倒れの危険性がある場合」は利用できます。という文言が平成21年に厚生労働省から全国の都道府県向けに出された通達に記されています。ですので、介護者であるあなたの困っている状況をケアマネに詳細に伝えることが大切です。
老齢の親が骨折などで、片方が入院すると、残されたひとりの日常生活に支障が出ることがあります。子どもとすれば放って置けない。ましてやひとり住まいの親が認知症に診断されたりすると、同居する必要があるかもと考えてしまいます。しかし、いざ同居してしまうと引き返せない事態を招く恐れがあります。
あなたの配偶者にも老親がいるはずで、今は介護の心配がなくても、いずれその時期がやってきます。その時に両立させることができますか。また、老いて認知症になった親にも親しい友人がいるはずです。ひとり暮らしであればご近所の人々のお世話になっているはずです。そんな有為な人間関係を失ってしまうと、交流が無くなることから認知症は一気に進行してしまいます。もしもあなたが、昼間も親と一緒に過ごすことができて、生活に困らないのならまだしも、平日は出勤して、他の家族も留守になり、老親が一人ぼっちで過ごすのだとすれば、これは最悪の選択です。あなたもあなたの家族も新しい同居人に気を使い、日常的に昼も夜も不安と不穏でイライラすることになるでしょう。
やはり別居の状態で老親の自立を目指すことです。自立とは一人で何でもできることではなく、たくさんの人に手伝ってもらって生きることです。ご近所やお友達、親戚、地域包括支援センター、介護ヘルパーの人々の力を借りて安全な生活維持を目指しましょう。
その時に、さまざまな判断を求められ、認知症の親の代わりに決断することが急に増えます。この場合も、認知症の親も一緒に同席で合意形成する努力をしてみましょう。地域包括支援センターの職員やケアマネも交えて、可能ならご近所さんも巻き込んで、老親の自己決定に関わってもらうのです。そうしないと老親はあなただけに依存する状態が出来上がってしまいます。その結果あなただけが苦しくなってしまいます。老人を支えるのは子どもだけではありません。それは誰にもできない無理な事なのです。
いわゆる「老々介護」状態になったとき、子どもから見ると危なっかしくて耐え難い。親戚や周りからは「子どもなら何とかしてやれ」と言われるでしょう。ふたりともが持病や不自由を抱えていることは珍しくはなく、服薬も通院も容易ではない。食事はできているのか、年寄りをだまして金品を巻き上げる悪党のカモや餌食になっていないか。
ある男性介護者Hさんがこのケースでした。故郷で暮らす90歳父親が、認知症と診断された83歳の母を介護している。母は要介護4、過去に2度脳梗塞になり言語障害が残っている。一昨年に腰の骨を折り手術、退院後に再び骨折、5時間の手術を受けたが、そのことも覚えていない。病院で療養中も少し調子が良くなると退院したがり、父親もそれを許してしまう。自宅に戻るが排せつや段差の昇降に時間がかかる。脳梗塞の再発防止と骨を強化する服薬など、医師に命じられた薬も嫌がって飲まず、コルセットの着用もやめてしまい、父親も無理強いはしない。週に1度のデイサービスも止めてしまい、訪問看護も数回で断ってしまった。Hさんは両親の生活維持には無理があると思い、同居を提案したが、父親からは却下された。
Hさんの相談を受けて介護経験者はそれぞれに考えを述べたのだが、結局は両親の好きにさせるしかないというアドバイスで終えた。
しばらく経って再び来られたHさんからは「口を出さずに静観していると、両親の暮らしも落ち着いてきたし、自分もイライラしなくなった」と。
その後来られたHさんは、母親が訪問業者から高額な指輪を安値で買い叩かれる詐欺にあったこと、お金の管理に不安を感じ、両親の資産を把握しておきたいが、なかなか聞き出すことができない、と困っていた。
数か月後、父親が入院したことから、いよいよ自宅生活を諦めて施設入所を考えなくてはならないと話していた。Hさんの住まいから遠くない大阪の施設を探していると言う。
最初の相談から1年半が経過してたどり着いた施設入所検討の段階です。介護の悩みは百人百様、直面した事態に振り回されないためにも、複数の介護経験者の話を参考にすることが大切です。
私の母親も遠方でひとり暮らしでした。2011年の夏に帰ってみると、母との会話は今までと変わらずにできたのですが、元気がなく、毎週のお習字や門徒としての外出を行きたがらなくなっていました。半年後には、家の中は雑然とし、母は更に変調を来していました。同じ市内に嫁いでいた姉と相談し、姉の来訪回数を増やしてもらい、母に携帯電話を持たせたりしました。しかし母の日々の暮らしを活発にさせることは何もできず、確実に認知症に進んでいきました。姉が関わってもらえたおかげで掃除、洗濯、ゴミ出し、入浴、食事などはなんとか対応できましたが、姉に二人目の孫が誕生し、多くの時間を割けなくなり、デイサービスの回数を増やしました。デイサービスのマネージャーにも協力してもらい、生活の維持はできましたが、予定のない日に自ら歩いてデイサービスに行き始めました。その頻度も毎週のこととなり、マネージャーの負担が増え、道中の交通事故の心配もあり、同法人のグループホームへの入所に踏み切りました。
私も姉も、母との同居は全く現実的ではなかったため、いかに安全に一人暮らしを続けられるか、そしていつかは施設に入ってもらうしかない、そう思っていました。2018年6月に母はグループホームに入居しました。入居後の母はとても穏やかです。そして1年後、私の顔を見ても私だとわからなくなってしまいました。私は寂しいのですが、母は寂しくはない。昨日のことを悩み、明日のことを憂うことのない穏やかな認知症ライフを母が生きていると思うと、寂しいのは私だけ、私の寂しさは私が我慢すればいいのだと割り切るようにしています。
ひとり娘のNさんは両親と暮らしていました。90歳の母親が認知症と診断された頃に初めて相談に来られました。Nさんは83歳の父親と二人で母親を介護していたが、父親は自分の妻の認知症を認めたがらず、デイサービス利用も嫌がった。半年も経つと母の周辺症状は進行し、同じことを聞き返す頻度が増え、興奮気味になる母親に不安になったNさんは父親を説得しデイサービス利用を始めた。
Nさんは将来は母親を施設に入れるのが良いと考えているが、父親は自宅で面倒をみたいと言い、意見の相違がNさんを悩ませていた。今後の方針を考えるために、父親とふたりで医師に相談にいった際に「余生も長くないから喧嘩しながらでも一緒にいたい」と父親が医師の前で話した。医師は「父親の意思を尊重するしかないのではないか」と言った。
そんな父親だったが、母と口喧嘩になった時に、母から手近にあったタオルを投げつけられた。それに驚いた父親は「施設入所も考える必要があるかもしれない」と言った。それでも母親が穏やかな時には「やはり施設には入れたくない」と呟いているらしい。
父親が母親のデイサービス利用に気乗りがせず、デイサービス利用を週2回までにとどめている。Nさんはもっと介護サービスを利用してほしい思っているが、父親の同意が得られない、その結果一日中母親と向き合う日が多くなり、精神的に参っていた。そこで主治医やケアマネと相談して、Nさんは別居を決意した。自宅近くの良い物件を見つけたが躊躇して即決しなかったため契約できず、ショックのあまり1週間寝込んでしまった。そんな気持ちを友人に話してみると「認知症のお母さんを置いて何故別居するの?」と責められた。介護をしていない友人には自分の辛さを理解してもらえないことを知り、再び落ち込んだ。
母親は昔からおしゃべりだったが今では更にひどくなり、最近は黙っている時がない。さらに、夜中に探し物を始めて騒いだりするので、父親も自分も心身ともに疲れてしまい、とうとう父親が年末に心筋梗塞で倒れ、ダブル介護状態になった。その結果Nさんもストレスでダウンしてしまい、それをきっかけに自宅近くでひとり暮らしを始めた。それでも毎日自宅に様子を見に行き、父からの電話で介護の愚痴を聞いて両親を見守っている。昼食はNさんが用意し、夕食はワタミの宅食を利用。父親の通院の帰りが遅いときは、母親をショートステイに預けている。
Nさんの最初の相談から1年8か月が過ぎた。父親にも介護が必要になって来た時が母親の施設入所を考えるタイミングだろう。それもそう遠くないことのようだ。
大阪市内でひとり暮らしをしているSさん。同じく一人暮らしをする母親が70歳の時に認知症症状を見せたことに気付きました。6年後更に急変した母親を見て、Sさんは母親の近くに引っ越し半同居を決意した。しかし、遠方に住む兄は協力してくれない上に指示だけはする。兄嫁は母親とは仲良くない。それもあってSさんは体調を崩したが、趣味のコーラスや社交ダンスには通う母親の社交的な性格のおかげで、二人の半同居生活はなんとか維持できるようになった。それでも自身の持病と母親の介護でSさんはクタクタになっていた。
母親は日に何度もSさんに電話をかけてきて、同じことを尋ねたり、見当たらないものを「あんたが取ったのか」と怒るなど、Sさんは周辺症状に悩まされてきた。ある日母の家の高価なものや家電製品が無くなっていることに気づき、買取詐欺に逢ったことがわかった。母には忠告していたが、止めることができなかったことに頭を抱えたらしい。
その後、叔母の葬儀に一緒に出掛けた。通夜の夜と本葬に二人で参列したが、いつもなら遠慮なく大きな声で喋り続ける母親が、神妙にしていてしっかりして見えた。ところが会場を出てタクシーに乗るといつも通りのおしゃべりが止まらない。認知症の母親が葬儀の場の雰囲気に合わせることができたことに驚いた。一方で、その日参列した兄夫婦から初めて「今までありがとう」と感謝とねぎらいの言葉を言われたことが嬉しかったが「これからも頼む」とも付け加えられて、なんで私だけ介護せなあかんねんと思った。
母親はデイサービスに通い、Sさんとも二人で出かける日々を過ごしていたが、新型コロナが流行する直前の年末、申し込んでいた特別養護老人ホームから突然入居可能と連絡があった。正月明けから入居できますと言われて、迷ったが思い切って決断した。母親は嫌がることもなく入居し、今は良かったと言う。当初は外出も一緒にしていたが、新型コロナが流行してからはオンライン面会だけになってしまった。それでも母親は施設で自分にできることをさせてもらいながら、落ち着いた生活を送れている。
母親の施設入所から1年経ち母の自宅を処分した。母から頻繁に「家はどうしたのか」と電話で聞かれ、その都度片づけたことを返答しているが、そのしつこさにイライラしてしまう。しかし以前医師から、母親が入所したら言葉を話せなくなると言われたことがあった。今はまだ喋られるのだから、そのことを喜びたい。刺激の少ない施設の生活では、一番気がかりなことを言葉にするのだろう、と思えるようになった。
今の施設でも、母が盗み食いを繰り返して太りすぎたりしたなど、施設への不信感を持ったことはあった。しかし、母は食事も入浴も面倒見てもらえ、暮らしが守られていることに改めて感謝している。
Mさんは大阪市内で79歳の母親と二人暮らししていた。新型コロナが蔓延している時期に、母親が骨折で入院し、面会できぬ間に認知症の症状が始まってしまった。退院しMさんとの二人暮らしが再開したが、要介護1と認定された母親は夜中に大声を出して、近所ともめたことがあり、とても困った。抑肝散を処方されてからは少し落ち着いたが、今でも夜中に目を覚ますことがあり、自分も眠れない。母親を家に一人置いておくことが不安なため、休職している仕事も再開できないでいた。
日を置かず年末に、母親は脳梗塞を起こし緊急搬送された。そこでも面会できず、入院から3か月を迎えリハビリ専門病院への転院がスケジュールに乗る頃、筋力低下と見当識障害悪化を指摘された。転院して一日も早くリハビリを開始してもらいたいが認知症の進行も気がかりだった。
3月にリハビリ専門病院に転院し、話す訓練やベッドから車いすへの移乗などのリハビリを行っていた。6月にリハビリ病院を退院したが、自宅での二人暮らしを維持することは難しく、母親を有料老人ホームへ入所させた。あまり喋らなくなり、できないことが増えたことに落胆している。ひとりの暮らしは寂しい、とMさんは話していた。
家族の介護負担が増え、今までと変わらぬ仕事量をこなせないと感じた時、上司に相談するかどうか。アンケート調査から次のことがわかった。
「上司は介護経験がないらしく、介護と仕事の両立を根拠なくできると思っているようだ。」
「周囲に相談しても自分の状況を理解してもらえるとは思えない」
「同じような経験がなければ理解されないと思う」
「基本的に今の職務を続けたい」
「自分の仕事を他の人に奪われたくない」
「上司、同僚から期待されていることを、介護と両立させながら、今のままやり遂げる自信がない」
一方、配慮され異動しても
「配慮してもらって異動したが、新しい業務で必要なスキルが自分には無い。自分の課題だが、不安で不満だ。」
つまり、自分と似たような介護経験がなければ相談しても理解されないだろう。配慮されても異動先で対応できるスキルがなければ、更に不安を感じてしまう。上司に相談すべきかそうでないのか、悩ましいところだ。
大阪の郊外に住むAさんは母親に認知症の疑いを感じて市役所に相談に行った。そこで職員から精神保健医を紹介され診察を受けて、指示された薬を飲んでいると幻覚を訴えるようになった。Aさんは驚き再度相談に行き、レビー小体型を疑われたため認知症専門医を受診するとアルツハイマー型と診断された。幻覚の原因は薬剤の副作用なので、今すぐ止めなさい、と医師が断言。その指導に従って服薬を止めてみると母はようやく落ち着いてきた。一方以前に比べて体重が10kg以上減り30kg台になってしまった。元々食は細く、おやつも食べず間食もしない、どうしたらいいか悩んでいた。
この相談に対し「メイバランスやドライフルーツ」などの少量で高カロリーを摂取できる食品を食べてもらうよう助言しました。
大阪の郊外で暮らすIさんは、義母の認知症症状で途方に暮れて相談に来られた。当初医師から処方されたアリセプトを服用していたが、穏やかだった義母が怖い顔をするようになり、激昂することもあった。「医師にそのことを話して、薬を替えてもらいましょう」と助言した結果、メマリーに変更され、義母の表情はおだやかになった。物がなくなったなどの被害妄想への対処にも「私は盗ってないよ、一緒に探しましょう」と言ってみましょうとの助言が有効だったようで、うまく対応できるようになったと話した。
同席していたIさんの夫は「ようやく母の認知症を認められるようになった。前回(8月)相談に来た時はどうしていいのかわからなかったが、前向きになれました」と話していた。
随筆やエッセイを書き、2冊の本(「誤作動する脳」医学書院、「私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活」ブックマン社)を出している若年性のレビー小体型認知症当事者の樋口直美さんが対談で次のように話されていました。
「視界から消えると記憶から消えるの」=調理中にお鍋に蓋をすると、何を作っていたか忘れてしまう。
「記憶が無いことに確信がある」=まるで経験のフィルムの途中を切り取られたように消えてしまう。
「手が触れることで記憶がよみがえることがある」=タイムトンネルが開くように、リアルな感覚にうっとりすることがある。
「聴覚過敏、幻臭が突然やってくる」=きっかけはわからないが聞こえる音がたくさんになる。
脳の情報処理キャパシティが衰えた(集中できるのは2時間まで)うえに、ノイズキャンセル(見たくない、聞きたくない情報を処理せずに捨てる)機能が故障したままで、見るモノ聞くモノ全てを同等に大事なものとして処理してしまい脳の処理能力をオーバーフローさせてしまうために、認知症の人はダウンしてしまいます。
私たちがダウンしないのはノイズキャンセル機能を使って脳を守っているからなのです。(情報を適度に間引きして処理するので、2時間以上の作業に休みやすみ対応できる。決して2時間以上の集中力があるわけではない。)学生時代を思い出してください。授業中に聞いた内容を全て覚えていましたか?教師の話をうわの空で聞いていた経験を皆さん持ってますでしょう。認知症の人たちはなってしまったのです。適当にサボれない真面目すぎる脳に。
若年性のレビー小体型認知症当事者の樋口直美さんのお話の中に、「視界から消えると記憶から消えるの(調理中にお鍋に蓋をすると、何を作っていたか忘れてしまう。)」という内容がありました。この事は見えているものは存在を確かめられるが、見えなくなれば存在してないように思う、ということです。
購入した商品を押し入れや冷蔵庫に入れてしまえば見えなくなり、意識からは消えてしまいます。必要だから買わなくちゃ、と思えば再度購入してしまい、大量にストックされてしまう。声だけの会話も発語した瞬間に消えてしまいます。大事な話を伝えたい、と思えば何度でも話を繰り返します、誰でもそうでしょう。食事も食べてしまえば目の前から無くなります。数少ない楽しみが食事であれば、何度も要求してしまうのも無理はありません。デイサービスに行くと何度もトイレ誘導を求める認知症の女性がいます。この場合もついさっきトイレに行ったことを覚えていないため、失禁を恐れるあまり、何度もトイレに行きたがるように思えます。
そう考えると、脳の一部が誤作動してしまっている親の失敗や要求も少しは許せるのではないでしょうか。
私の母にもこの時期がありました。
姉からも「母さんがデイサービスのお風呂に入らないから臭い」と電話で聞かされていました。数か月ぶりに母に逢ってみると、服装もお座なりで髪も清潔に見えない、そして強い体臭が漂っている。
言葉を尽くして説得を試みた。しかし何を言っても「お風呂ははいってるわよ」「臭くなんかないわよ、失礼ね」と取り付く島もなければ、険悪なムードになってしまいそうだった。
あの頃の私は、認知症について勉強し、こんな時にはこんな対応をしたらいい、などを多少知ってはいたが、鼻を衝く母の体臭に辟易し、無駄な説得をしてしまった。そして何も成果は得られなかった。
今なら、「風呂に入らずに死ぬ人はいませんよ」「どうしても気になるときは、蒸しタオルで手のひらから拭いて差し上げましょう。顔も頭も脚も、蒸しタオルを使えばきっと本人も気持ちいいと感じるでしょう」と相談者にお答えするのですが。
それでも母親を息子が介護するのは難しい。女性である母親には羞恥心がきちんと残っているからだ。その点、姉であれば、娘と母親の関係で銭湯に一緒に入浴することもできる。一週間に一度であっても、銭湯に行き入浴を確実に実行できるのだ。
こんなことがあった。車に母を乗せて、大きな銭湯に行った時だ。昔からある施設で、母は姉とも何度も来ている。回数券をカウンターに出して母が暖簾をくぐるのを見届けてから、私も男湯に入った。数十分後着替えて休憩室に来てみても母の姿はない。こんな時男子はどうしようもない、女湯に探しに行くこともできないのだから。ハッと思い、1階の駐車場に降りてみると物陰に母が寒そうに立っていた。母の手に触れてみると冷たい。私は自分の愚かさにがっかりした。きっと母は、ひとりで女湯の暖簾をくぐったものの、そのまま出てきて、私の姿を探し、駐車場に降りて立ちすくんでいたのだ。事故がなくてよかった、ひとりで歩いて帰ってなくてよかった。俺はなんてバカなことをしてしまったのか、と泣きたい気持ちになった。「母さん、ごめんよ。寒かっただろう。うちに帰ろうね」男は本当に役に立たないなと打ちのめされた出来事でした。
ちなみに、母が入浴を嫌がったのはデイサービスでのことです。認知症の症状がはっきりし始めデイサービスを利用し始めたタイミングでした。そこで入浴を促されても毎回断っていたのです。それでも8か月目くらいでデイサービスの入浴を受け入れるようになり、その報告を姉から聞いたときは、電話口で大喜びしたことを覚えています。
認知症の人の介護は最初が一番大変です。まず本人が不安になり、混乱しています。周囲の家族は今までできていたことをうまくできなくなり始めた親に対して不審の目を向けます。そしてできないこと、失敗したことを責めます。親はそんな扱いを家族から受けることに反発します。「なんであんたから偉そうに言われるのよ」「私はちゃんとしてるわよ」と。
私の母のことを思い返すと、コミュニケーションは変わりなく、会話は成立していたが。
同じ話題が繰り返され、楽しい会話が続かない。例:孫の動向、嫁への嫌み、私への愚痴
定期的な外出を嫌がるようになる。例:お習字に行きたくない。門徒の集まりに行きたくない。
目を閉じてじっとする時間が増える。昼間から居眠りするように。
料理が下手になり、食事で食べる量が減る。
掃除をしなくなり、洗濯もできているのかわからない。
このように、積極性が失われ、日常の行為の精度が落ちるが、注意や指摘をされると否定し、攻撃的な会話が繰り返される。そのため、家族はできていないことを指摘し、険悪なムードになってしまう。この時期の家族は、母親の不調を年齢の影響かなとは思うが、怠けているように感じて、叱責し励まそうと振る舞い、結局かみ合わない時間を過ごしてしまいます。性能は衰えても動作する身体と口を持つ母親を、子どもは未だ、敬意を払う対象としてまなざし、高齢の大人としての役割を果たしてもらいたいという期待は持ち続けているので、失敗への指摘が緩むことはない。
一方で本人は自分の変調に気づいている。しかし、そのことを口にするのが怖いと感じている。壊れ始めた自分を認めたくないし、まわりから気づかれたくない。私がなぜそう思うのかの理由は、老いた親のプライドもあると思うが、より強いのは恐怖だと思う。「まだ健康で何でもできるわよ」というポジションから滑り落ちる恐怖。家族の中で厄介者になり、社会の荷物になり、役立たずと思われることの恐怖。
ピンピンコロリ、という言葉がある。元気なまま高齢になり、病気にならずにあっさりと死ぬ。それが理想だと多くの先輩方が言われていた。人に迷惑をかけずに生きて死ぬのが理想で美徳だという風潮が昭和の人々には根付いている。こんなこと誰が言ったんだ?
他者の世話にならずに生きている人はいない。ひとりで生きられないから家族を作り、家族だけで子育ても、教育も、生計も立たないから、社会が成立したはずだ。自立というのは数えきれない他者に依存して生きることを意味する。数え切れない人々に支えられているから、誰の世話にもなっていないと錯覚しているだけだ。
胸を張って社会の世話になってほしい。後に続く人々のロールモデルにもなるのだから。
・失禁が始まった場合
・外出を嫌がる場合
・出かけたまま帰ってこない場合
・万引きして捕まった場合
・近隣住民から迷惑がられた場合
・夜中に大声を出す場合
・常識を逸脱する行為を始めた場合
・怒鳴って叩きそうになった場合
・同居介護がつらくなった場合
・一人暮らしが難しいと感じた場合
・親戚から介護責任を強いられた場合
・施設入所するかを迷った場合
・どの施設がいいか迷った場合
・看取りは自宅でしたい場合
・
■自分が認知症かもと思った時
・取引先との約束を忘れて損失を出した場合
・部下の名前を思い出せなくなった場合
・乗り換えや行先の間違いが増えた場合
・上司に相談するかを迷った場合
・家族に相談するかを迷った場合
・