人の脳の大脳新皮質には100億から180億個の神経細胞があると言われています。この脳神経細胞は20代にピークを迎え、その後は加齢にともなって死滅の一途をたどり、60歳を過ぎると急速に死滅速度が上がります。一方で、脳神経細胞内ではシナプスが常に生まれ、記憶と伝達の役割を担います。シナプスの産生は年齢に関係なく、60歳を超え90歳になっても努力次第で増え続けます。
このシナプスの数(数百から十万個)と働き具合が脳と身体の働きを大きく左右します。ある情報が神経細胞に入力されると、情報は電気信号に変換され、神経細胞の細胞体から軸索(細胞体から延びる突起部分)へと伝えられます。
軸索の先端は、他の神経細胞に情報を送る働きをします。この接続部分がシナプスです。この軸索のシナプス結合部はややふくらんでおり、シナプス前終末と呼ばれます。しかし、シナプスには図のように隙間(シナプス間隙)があり、電気信号のままでは情報を送る事ができません。
そこで、シナプスでは電気信号を化学物質の信号に変え、それを伝令役として、次の神経細胞に情報を伝達します。その伝令役となりシナプス前終末から放出されるのが神経伝達物質です。この神経伝達物質が、次の神経細胞の細胞膜にある受容体に結合すると、新たな電気信号が生じて情報が伝達されるのです。
このように、シナプスの役目は神経細胞間で情報を橋渡しすることですが、シナプスの働きが悪いと、脳は正常に機能しません。シナプスの数(働き)と認知機能が比例する(頭の働きが良い悪い)と言われる理由です。
加齢にともなって誰でもシナプスの数が減少し、それがひどくなるともの忘れの原因になりますが、シナプスでの情報伝達の効率を上げれば、認知機能は高まるのです。その鍵を握るのが五感を通じた脳への刺激と神経伝達物質です。
脳内で大きな働きを担う神経伝達物質は知性と心の安定と運動性能も左右する非常に重要なものです。現在、五十種類以上存在すると言われていますが、その働きが比較的よくわかっているものはわずか二十種類程度です。それほど脳の研究は途上にあると言う事です。
代表的な興奮性神経伝達物質としてグルタミン酸、アセチルコリン、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、一方で抑制性神経伝達物質としてγアミノ酪酸 (GABA)、グリシンがあります。
この「神経伝達物質と結合(受容体反応)」→「シナプス内に電気信号を送る」という働きは脳内で常にやり取りされていますが、このおびただしい「結合と送信」こそが、大迫勇也選手に目の覚めるゴールをイメージさせ、羽生結弦の最高のプレーを支え、内村航平の世界記録を生みだしているのです。もちろん、私やあなたの日常の活動を支えている事は言うまでもありません。
2014年4月にNHKで放送された「人体ミクロの大冒険」ではオキシトシンという神経伝達物質について、iPS細胞発見の山中伸弥教授が解説されていました。オキシトシンは、別名愛情ホルモンと呼ばれ、女性が赤ちゃんを出産した時に大量に血中に放出されますが、出産の時だけではありませんし、男性にもオキシトシンが働いています。
米国のポール・ザック博士はオキシトシン細胞研究の中で興味深い報告をされました。結婚を間近に控えている男女にキスをしてもらいました。すると、キスの前後で血中オキシトシン濃度が大きく変化したのです。女性は213%増加、男性でも26%の増加です。
また初対面同士の人でも同様で、ダンスやスポーツを行うと同じ結果が生まれるそうです。ダンスをした後の測定結果では平均で11%アップ、多い人で46%アップしていたのです。
この報告では、初対面でもダンスやスポーツを多人数で行ことで脳内のオキシトシンが平時よりも多く放出されたとのことですが、オキシトシン以外の神経伝達物質も放出されているはずです。ゲームが楽しければドーパミンが出ますし、クールダウンする時にはセロトニンが放出されます。このように他者との関わりの中で愛情や信頼、安心を感じることで脳内に神経伝達物質が放出されます。しかし、ひとりぼっちでぼんやりしているとこうはなりません。ですから、他者との関わりの中で楽しいことも多少嫌なことも感じて、脳内を活発にすることがとても大切なのです。この脳が活発な時間に更に「知的に」脳を刺激する(脳トレ)内容を組み合わせると、さらにアセチルコリンが放出されます。
久保田競先生はこんなことも仰ってます。「脳力をよくするには、おいしいものを食べましょう」。拍子抜けしそうな話ですが、これには理由があります。 おいしいものを食べると、快感や満足感、至福感を感じますが、この時、脳幹の中の腹側被蓋野(ふくそくひがいや、ventral tegmental area, VTA)と呼ばれる神経細胞が集まっている部分が刺激されます。刺激を受けた神経細胞(VTAニューロン)は末端で、神経伝達物質のドーパミンを分泌します。このドーパミンの分泌は、腹側被蓋野から神経細胞でつながっている前頭葉に達し、前頭葉の働きを高めてくれます。そして、前頭前野にあるワーキングメモリーや側座核(そくざかく、Nucleus accumbens, NAcc)の働きをよくするのです。
同時に、ドーパミンは運動をつかさどる一次運動野(いちじうんどうや、Primary motor cortex)に伝わり、スピード力や筋力を高め、前運動野にも伝わり更に運動のスキルを向上させるという効果をもたらします。
ただし、食べ方には注意が必要です。まず、空腹感を感じてから食べることです。間食はやめて三食を時間をおいて食べるようにしましょう。空腹感を感じないのにおいしいものを食べても、ドーパミン系のシステムは働きませんし、ジャンクフードやお菓子など栄養的に問題のあるものは避けるようにしましょう。
※ドーパミンには側坐核を舞台として、生体にとって良い行動をプラス評価して学習・記憶させる作用がある一方で、前頭前野では不安を感じさせる作用を発揮することや、薬物依存症での病態の中心になることも知られています。単純に幸せホルモンと呼べるほど喜楽な物質ではありません。
高コレステロール、高脂肪の食生活を続けると心筋梗塞にかかりやすいが、喫煙率が高く、世界でも有数の動物性脂肪の消費国であるフランスには、心筋梗塞になる人が少ないという、いわゆるフレンチパラドックス。
赤ワインに多く含まれているポリフェノールの一種レスベラトロールによる効果とされてきましたが、米ジョンズ・ホプキンズ大学医学部(ボルチモア)眼科学のRichard Semba教授らの研究で、レスベラトロール摂取で寿命が延びる訳ではなく、心疾患やがんのリスクは低減しないことが示されました。
Semba教授は「食事でレスベラトロールを摂取した群では死亡、がん、心疾患が減少する優位な差は、摂取しなかった群と比較しても現れなかった。結局、野菜中心のバランスの良い食事と定期的な運動が健康に資する。」と結論づけた。
この報告はレスベラトロールに着目した研究報告ですが、他のポリフェノール(抗酸化作用が高いと言われている)も結果は同様だろうと、私は思っています。一方で、フレンチパラドックスを読み解く鍵はこちらでしょう。
私の仮説では、それはオキシトシンです。フランス国民は世界で一番回数多く(年間130回くらい)性行為をする国民だそうです。であれば、当然のことその行為に至るまでに手をつなぎ、抱きしめ、キスをする時間は多いはずです。愛し愛される時、肌ふれあう時間、信頼を寄せる時、血中オキシトシン濃度は高まります(前述の通り)。オキシトシンが大量に分泌されれば、他の神経伝達物質の脳内分泌が増加します。人が人らしく生活できて、癒し癒される時間が多ければ多いほど免疫力も向上しますので、結果的に健康を維持することができると考えられます。