人の脳は三、四歳で80%が、十歳くらいで約90%が出来上がります。人の脳には細胞が全体で千億個から二千億個あると言われ、その中で大脳皮質の神経細胞は約100億個から180億個あるそうです。実際には数えることはできないので、あくまでも推測値です。これらの神経細胞には、思考と経験を繰り返した結果が情報として書き込まれ、読み出しと書き込みを繰り返す事で、その情報の読み出し速度は高速化されます。また、わずかな共通点のつながりを強化する事で連想力は広がり、一般的に「頭の回転の速い」状態を作り出せるようになります。
では、十歳までの状態はどうなのでしょうか?小学一・二年生頃の脳はまだ発育途上ですから、この時期の知的刺激(身体運動も含む)は脳の発育に大きな影響を与えます。言い換えれば、この時期の子供の脳は大人ほど注意力、記憶力、推論、視空間能力、言語能力が発達していない(その代り成長スピードは著しい)時期、だということなのです。
最近よく聞く「児童虐待」の理由に「子供が親の言う事を聞かないから」「躾のために」と耳にしますが、子供の脳の成長時期とこの「児童虐待の動機」を照らし合わせると、全く無茶で無謀な行為である事がわかります。
自分と母親プラス家族を軸とした世界観の中で、自分の欲することを求め続ける時期に、他者のことや将来予測や我慢をせよと言ってもなかなか意識できません。強く押し付ければトラウマとなります。小学生になり集団生活を経験しながら、他者との関わり方を身につけますが、同世代への意識がまずあって、年長者への意識は次段階です。同世代の視線>教師の言葉>大人の理屈の順に優先順位が高いのです。理由は、一番多く長く同じ空気を吸っている身体距離の近い同世代の子供たちとの関係が子供たちにとり最も重要な世界(死活問題)だからです。
さて、認知症の人の脳は成長途中の幼い子供の脳の状態にあると考えましょう。ついさっき聞いた会話を忘れ、自分の気になることは繰り返す、将来予測ができず、時間管理ができない。使ったものをもとの場所に収納することが苦手で、出しっ放しにしてしまい、片付けが苦手。似てるでしょう、幼い子供と。
脳とは、難しい話を省略して言ってしまえば、どうすれば生命を維持し子孫を残せるか、そのために外部からの入力にどう出力するかの最適解を準備するために、情報を保管し、書き換えて、全身に指令を送る部位だと定義できます。
一時的に記憶された情報は、書き込みと読み出しを繰り返すうちに、神経細胞同士のつながりが増加し強くなり、知識として長期記憶に刻まれていきます。そこに至るまで、記憶は短期記憶として前頭前野の大脳皮質に保存されます。その短期記憶の保管場所はワーキングメモリーと呼ばれ、これがアタマの良さの鍵を握っているのです。
このワーキングメモリーへの書き込みと読み出しを繰り返し行うと、海馬は「この情報は重要だから長期記憶に保管しよう」とし、記憶は知識として定着し蓄積されます。
さて、記憶とは、学習した(脳に刺激が入ってきた)時に、その刺激を脳の中に残しておく現象のことです。人間の記憶は頭頂連合野、側頭連合野、後頭葉に保存されています。大脳皮質(大脳半球外側の表面部の灰色の層=灰白質)の後方にある頭頂連合野、側頭連合野、後頭葉に情報が来たら、次回以降も同じ情報が伝わりやすいようにと特定のシナプスの繋がりを残しておく。これが記憶のリアルな姿です。
*側頭葉では聴覚と言語(ことば)を後頭葉では視覚情報を処理します。前頭葉は未来予測(自分と他者との関係など)を処理します。
また、脳の機能は単に知的活動に留まりません。筋肉の動きなどの運動機能も司りますので、プロのアスリートも脳の機能は高いのです。野球のイチロー選手もサッカーの本田選手も、瞬時の判断で最適解を読み出して、筋肉運動に結びつける能力を持っている訳ですが、彼らは生まれた時から天才だった訳ではありません。人より多く練習して、最適解を脳に繰り返し刻み込み、何度も読み出して修正を加えた結果です。天才とは人より多く努力することを厭わない人のことを呼ぶのでしょう。 そう考えれば、知識でも運動でも芸術でも多種多様な刺激を大量に入力すれば、脳はどんどん性能を高めて、アタマはよくなります。脳の神経細胞が幾重にも結びつきを持ち、リーチタイムが短くなってきます。その結果の出力は精度も品質も高いものになるのです。その際に働くのが前頭前野にあるワーキングメモリー(8野、46野)です。
脳の研究で有名な久保田競先生(京都大学名誉教授 大脳連合野研究の第一人者、大脳生理学の世界的権威)がこう仰ってます。
ウォーキングマシンで時速3km(軽いウォーキング)、5km(早歩き)、9km(ジョギング)で一週間毎日続けて運動した人の脳を調べると、3kmでは運動野の4野が働き、5kmでは4野と前運動野の6野が働くことがわかりました。4野と6野は運動を司る部位なので働くのは当たり前なのですが、注目すべきは9kmの速さでジョギングした時です。この場合、前頭前野の46野あたりが働き始めます。ここは、前述のワーキングメモリーにあたる領域で、短期記憶をキープしたり情報分析したり、計画を立てる時に使います。この領域が働くということは、頭の回転が早くなるということです。 この実験から、ゆっくり歩くよりも軽く走った方が脳を鍛える効果があるということがわかります。さらに、効率よく脳を鍛えるには頭を使いながら運動することが効果的だとわかりました。ジョギングする時も考え事や簡単なテストをしながら走ると前頭前野の10野が働きます。10野は人間に特有の部位で計画的に物事を進めたり、創造性を発揮する領域なのです。
さて、久保田先生の実験から見えてくるものは何でしょうか。人の脳は環境の変化に対応するために五感のインプットをいち早く脳内記憶と参照し、最適解を引き出そうとします。環境変化が早いと、最適解をアウトプットするための時間も短くしなければならないため、脳は記憶の取り出しのために身構えます。その時前頭前野の10野が働くのでしょう。コンマ数秒後に起こるであろう変化にどう対応すべきかを判断するために、脳は複数の選択肢を用意し、瞬時にひとつを選びます。五感からインプットされる情報に対しどう反応すべきかを決断する時、脳は鮮やかな手品のように、ひろげられたカードの中から一枚を取り出し、残りのカードを元に戻してしまうのです。この瞬時の変化に対応する一枚のカードを選び出すため、脳は繰り返し手持ちのカードの中身を確かめるのです。
逆に言えば、手持ちのカードを取り出すトレーニングが脳の活性化を促進するのです。自分の周囲に何が起こるかわからない、どんな変化(命を失うような)が訪れるかわからないとき、私たちは注意深く観察します。周りを見渡し、耳をそばだてて、匂いを嗅いで変化に対応しようと活動します。そのとき脳はよく働き、逆にじっと座ったままでぼんやりしていると、変化の予兆は感じられませんから、脳はリラックスしてしまい、神経伝達物質は放出されず、シナプスは低調なままなのです。
更に、運動をするときには汗をしっかりかくことが大切です。汗をかくことで交感神経の働きを高め、脳の神経細胞をさらに効率よく増やすことができます。生物のなかで全身に汗腺があり、発汗機能が高いのはチンパンジーと人間だけなのです。普通の猿は、木陰で生活をする習性があるため、暑くてもジッとしていればしのぐことができました。そのため、汗を出す必要がなく、発汗機能があまり発達しませんでした。一方、チンパンジーは森のなかで常に動き回り、人間は草原を走って獲物を追いかけて生活してきたので、発汗機能が発達しました。特に人間は、汗を出しながら走ったことで脳が進化してきたため、今でも運動して汗を出すことで脳を刺激しているのです。