脳のメカニズム、神経伝達物質の役割を知れば、認知症の理解も進むと思います。認知症の人が狂人でも精神異常でもなく、脳の機能が衰えた「障害者」だということに気づいていただければ幸いです。加齢に伴い脳が衰えはじめる、それは全ての人に起こる当たり前の変化であり、幼子の脳の状態に近づいているのだと知ってください。そうすれば優しく接する事ができるのではないでしょうか。
認知症の人は常に不安な状態にいます。自分を取り巻く多くのことが「わからない」「思い出せない」ために、今自分が「何をすればいいのか答えを出せない」「判断できない」と感じているのです。自分自身のことが「ぼんやり」して自信が持てないのに、外部の刺激は容赦なくやってきます。その刺激に「どう対処すればいいのかわからない」ため、更に「答えられない宿題を山のように背負っている」気分です。
アタマがいいとは、脳への書き込みと読み出しを繰り返すことでその速度が高まった状態だと言いましたが、認知症の人は脳の神経細胞同士の結びつきが減少してしまったため、情報の読み出しがうまくできません。それは誰かの名前を思い出せない、だけではなくて、こんなときはこうする、と言った生活習慣の全てのシーンに現れてきます。野球選手が試合中に急に認知症になったら(そんなことはあり得ませんけどね)グラウンドに立ち尽くして、ボールが飛んで来ても受け取れません。チームメイトと相手チームの選手の見分けがつきません。応援の歓声に驚き、声をかけて近づくチームメイトに怯え、攻守の入れ替わりの際もベンチに戻れず、試合終了後も家に帰れません。
一見、奇異に思えますが、脳神経細胞の機能が弱っているだけです。ですから「できない」ことを責めても意味が無い上に、本人をさらに傷つけてしまいます。先にお話しした幼い子供に教えるように優しく接してあげましょう。ただし、本人は自分を年相応の大人だと思っています。子供をあやすような言葉遣いは反って気分を害することになりますから、大人として接しましょう。当然ですが礼儀正しい態度も必要です。
グラフ①「認知症の進行に伴うストレス刺激閾値の変化」では、認知症が進行し重度化すると、知覚刺激の増大にともない、ストレスの耐性が弱まり、不安行動をおこしやすく、行動障害を起こす頻度も高まることが示されている。
グラフ②「認知症の人の24時間におけるストレスの蓄積と行動の変化(神垣改)」では、目覚めてから活動開始の頃には不安行動域に入り、午後には行動障害を起こしがちになる。不安行動域内で刺激が強まると、夜まで行動障害を繰り返し発することが示されてる。
グラフ③「認知症の人への計画的支援により正常行動を維持している状態」では、刺激に反応し不安行動域に入る前に、計画的な支援を講ずることで安定状態を維持できる、ことを示している。
このように、認知症者それぞれにタイムリーな支援を行うことができるかは、容易ではないが、日常的に安心できるコミュニケーションを繰り返すことで、認知症者の不安行動を抑制できると思われます。
今から3300年前(紀元前1300年頃)の中国、殷の時代には漢字の原型である甲骨文字が使われていました。牛の骨や亀の甲羅に刻まれた文字です。そこには、羌族の人々(今も中国の四川省に少数民族(チャン族)として存在します)を動物と同じように狩りの対象として捕らえ、生け贄として殺していたと書かれています。それは数百年以上続いていたそうです。なぜ、羌族の人々は殷の人々にやすやすと捕われて殺され続けたのでしょうか。理由はわかりませんが、こんなことが考えられます。牛や馬は人間よりも力が強いですが、明日殺されて食べられると知って反乱することはありません。もしかすると羌族の人々は時間の観念が無くて、今日仲間が捕らえられても、明日自分が捕らえられるかもしれないと想像することができなかったのかもしれません。
というのも、中国で心という漢字が生まれたのが紀元前1000年頃(周が誕生した頃)で、心のつく漢字が爆発的に誕生するのは更にその1000年後です。論語で有名な孔子が出現したのが紀元前500年頃ですから、それより更に500年も後なのです。
何を言いたいのか?
文字の無い(心の文字もあまり無い)時代は、人々が悩んだり悲しんだり不安になったりという心の変化が乏しい時代です。生きることも死ぬことも全ては自然(神)のなすがままと考えていて、悲しむことが無かったかもしれません。つまり、羌族の人々は脳の機能が未発達だったがために、動物のように狩りの対象として扱われても不安を感じていなかったのかもしれないのです。(参考:「あわいの力」安田登)