神戸市の介護老人保健施設Hには一般棟と認知症専門棟が併設されています。平成26年6月、90歳の男性Kさんが入所されました。Kさんは要介護度4、*ADL自立度B1、*認知症自立度Ⅲa、で入所当初から帰宅願望が強く、頻繁に立ち上がり職員に暴言暴力をふるう様子でした。家族にも何度も電話で「帰りたい」訴え、電話が繋がらないと警察に電話して「子供が連れ去られた」と訴えることもありました。Kさんの不穏時は職員が付き添い傾聴するなどして、30日が経過しても不穏症状が減ることはなく、認知症専門棟に移転されました。
認知症専門棟に移転初日と2日目はそれまでと変わりなく「家に帰りたい」と訴え、立ち上がり暴言暴力をふるう様子がありました。
3日目から6日目までは立ち上がることはあっても「家に帰りたい」と訴える回数は徐々に減り、7日目以降は帰宅願望を口にすることが無くなり、穏やかに過ごす時間が増えたのです。
そこで、Kさんの変化の理由を探るため、一般棟と認知症専門棟の職員に聴きとり調査をしてみると、次のことがわかったそうです。
一般棟では、利用者の自立度に大きな差があるため、利用者同士の干渉が頻繁にある。
一般棟では、利用者の多くが部屋で過ごし、緊急時はナースコールが鳴る。ナースコールに反応して突発的に職員が行動する際に緊張感が生まれる。
認知症専門棟では、利用者の自立度に大きな差がないので、利用者同士の干渉はあまり見られない。
認知症専門棟では、利用者のほとんどがフロアに居り、職員の見守る目が行き届いている。
認知症専門棟にはナースコールが無いので、コールの音の緊張感が生じず、職員の落ち着きも保たれていて、利用者が不穏になるストレスが少ない。
これらのことから、認知症の人が不穏になるきっかけは、周囲の人の接し方と気配、視覚聴覚などから受け取る緊張感だということが読み取れます。慌ただしく動く姿、大きな音、走る足音、急がされ、待たされる環境のようです。周辺の交通機関の騒音や、テレビのバラエティ番組やCMなどの突然大きな音が聞こえる環境も認知症の人には不安を増幅するストレスになると考えられます。
一方で、小川のせせらぎ、海辺のさざ波などの音響、野鳥のさえずりとともに森を散歩する映像などはこころの落ち着く良い刺激と言えるでしょう。つまり脳内にα波を発生させる刺激は、心落ち着かせ、認知症の人の不穏を抑制する効果があると考えられます。ただし、水の流れる音は排尿を連想させ、人によっては(男性は特に)トイレに行きたくなることがありますし、海の映像で津波の恐怖を連想する方もおられますので、気を配る必要はあるでしょう。
*ADL【日常生活活動(日常生活動作能力)(Activities of daily living;ADL)】とは、人が毎日の生活を送るために各人が共通に繰り返す、さまざまな基本的かつ具体的な活動のことです。もともとリハビリテーション分野における患者の機能障害や効果測定のために開発されたものですが、近年では高齢者の生活機能の尺度として用いられることが多くなっています。
狭義のADLは、家庭における、歩行や移動、食事、更衣、入浴、排泄、整容などの身のまわりの基本的な身体動作を指し、基本的日常生活動作能力(Basic Activity of Daily Living;BADL)と呼ばれます。
私は地域のフットサルチームに所属して、週末は小学生とゲームを楽しんでいます。小学生は1年生から6年生までいますが、小学生を見ていると彼らが大人の醸しだす匂いを敏感に嗅ぎ分けて接しているのがよくわかります。
大人はケガを防ぐために入念にストレッチに時間を費やしますが、彼らはそんな退屈なことに興味はありません。子ども同士でじゃれあっています。指導者が大きな声で集合させて、注意事項を話し始めると、ゆっくりと遠巻きに集まりますが、ほとんど聞いていません。彼らの態度に気を悪くした指導者は嫌み混じりな話題を投げますが、更に彼らは聞くふりだけをして聞き流しています。けしからん態度でしょうか?
実はこんなことは私達自身が10代の頃に経験済みなのです。私達は授業中に嫌な教師や苦手な科目の時間は苦痛で仕方なく、聞いているふりをして別のことを考えていました。前夜見たテレビ番組のことや、放課後の部活動のこと、好きな子のこと、週末の遊びのことなどを考えて、嫌な時間が過ぎるのを耐えていました。その時に脳で働いているのがノイズキャンセル機能(*)です。私達の脳は嫌なものは見えてても見ないし、聞こえてても聞かないのです。
小学生も10代の頃の私達も、話しやすいオトナを見つける能力を持っています。頭ごなしに叱らないオトナ、少しくらいのイタズラは見逃してくれるオトナ、自分の失敗談を笑って語るオトナ。こんな教師を探して私達は近づきましたね。小学生も全く同じで、説教モードで接するオトナには必要に迫られた時しか近づきません。一方で、世間話モードで接するオトナには甘えてきます。
さて、認知症の人が安心するヒトはどちらのタイプでしょうか。ストレスを感じずに穏やかになれるのはどんなヒトでしょうか。認知症の人が不穏にならずに楽しい時間を過ごせるヒトにあなた自身がならないと、まわりの人はみんな疲れますよね。緊張を解き、何でも受け入れて、失敗を許す気持ちで接することが、認知症の人もあなたもストレスなく過ごせる最短のアプローチなのです。
(*)ノイズキャンセル機能は私たちが持っている便利な能力ですが、認知症の人はこの機能が衰えています。同様に自閉症の人もこの能力を失っているようです。
認知症の人と自閉症の人は異なりますが、脳の機能に障害を持つ方の実感として少しは共通点があるのではないかと思います。次に紹介するのは、自閉症の東田直樹さんが中学生の時に書かれた文章です。「自閉症の僕が飛び跳ねる理由:会話のできない中学生がつづる内なる心」(株式会社エスコアール出版部)より引用
8.すぐに返事をしないのはなぜですか?
みんなはすごいスピードで話します。頭で考えて、言葉が口から出るまでがほんの一瞬です。それが僕たちにはとても不思議なのです。
僕達は、脳の神経回路のどこかで異常が起きているのでしょうか?ずっと困っているのに、その答えは誰にも分かりません。
僕たちが話を聞いて話を始めるまで、ものすごく時間がかかります。時間がかかるのは、相手が言っていることがわからないからではありません。相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです。
この感覚が、普通の人には理解できないと思います。
言おうとした言葉が消えてしまったら、もう思い出せません。相手が何を言ったのか、自分が何を話そうとしたのか、まるで分からなくなってしまうのです。その間にも、質問は次から次と僕たちに浴びせられます。
僕たちは、まるで言葉の洪水に溺れるように、ただおろおろするばかりなのです。
10.どうして上手く会話できないのですか?
僕も話せないのはなぜだろうと、ずっと不思議に思っていました。
話したいことは話せず、関係のない言葉は、どんどん勝手に口から出てしまうからです。僕はそれが辛くて悲しくて、みんなが簡単に話してるのがうらやましくてしかたありませんでした。
思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。
僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
僕たちを見かけだけで判断しないでください。どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困っているのです。自分の力だけではどうしようもないのです。
ー中略ー
自分の気持ちを相手に伝えられるということは、自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです。
23.何が一番辛いですか?
みんなは気づいていません。僕たちが、どんなに辛い気持ちでいるのか。
僕たちの面倒を見るのは「とても大変なのよ」と、周りにいる人は言うかもしれません。
けれども、僕たちのようにいつもいつも人に迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、みんなは想像もできないと思います。
何かしでかすたびに謝ることもできず、怒られたり笑われたりして、自分がいやになって絶望することも何度もあります。
僕たちは、何のために人としてこの世に生まれたのだろうと、疑問を抱かずにはいられません。
側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです。
僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。
自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。
24.自閉症の人は普通の人になりたいですか?
僕らがもし普通になれるとしたら、どうするでしょうか。
きっと、親や先生や周りの人たちは大喜びで、「普通にもどしてもらいたい」と言うでしょう。
ずっと、「僕も普通の人になりたい」そう願っていました。障害者として生きるのが辛くて悲しくて、みんなのように生きて行けたらどんなにすばらしいだろう、と思っていたからです。
でも、今ならもし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままに自分を選ぶかも知れません。
どうしてこんな風に思えるようになったのでしょう。
ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることが分かったからです。
僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。
自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。
27.自閉症の人はどうして耳をふさぐのですか?うるさいときにふさぐのですか?
人が気にならない音が、気になるのです。
問題は、その気になるという感じが、みんなには分からないのだと思います。音がうるさいというのとは、少し違います。気になる音を聞き続けたら、自分が今どこにいるのか分からなくなる感じなのです。その時には地面が揺れて、回りの景色が自分を襲って来るような恐怖があります。だから耳をふさぐのは、自分を守るためにする行為で、自分のいる位置をはっきり知るためにやっているのだと思います。
ー後略ー
いかがでしょうか。認知症の人とは明らかに異なる描写がいくつもあるように感じますが、自閉症の当事者の思いが中学生の飾らない言葉で綴られています。「言葉にしたいことが消えていく」「見捨てられたような気持ち」「周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられない」「耳をふさぐのは、自分を守るためにする行為」などは気になる言葉です。
自閉症の方との接し方も、急がず、急がさず、穏やかに、待つことが大切だという点では同じだと思えます。