認知症になるということは、脳神経細胞の一部が死滅して「記憶の取り出し」と「できていたことができなくなる」この二つに襲われて、元に戻れなくなることです。自信に満ちて頼もしかった父親が物言わずぼんやりしている。きれい好きで料理上手だった母親が掃除も料理も入浴すらしなくなる。昔の姿を知っている家族たちはその光景を見て慄然とし、自分との関係を取り戻したくなります。自分自身との関わりを取り戻すべく、共通する過去の記憶を確かめるために、問いかけ始めます「私の名前がわかる?」。しかし答えの定まらぬ問いは尋問に代わり、落胆と諦めのうちに途絶えてしまいます。
認知症の人は既に社会に対する自分自身のアイデンティティを失って(変質させて)しまっているのに、家族がその事実を受け入れられず、努力や叱責で以前の状態を取り戻せるかのように問い続け、認知症の人にも家族にとっても苦しい状態が続きます。もはや、かみ合っていた過去のアイデンティティのつながりはほどけてしまっている。認知症の症状は進行していくのだから、家族もその道のりを共に歩むしかないのです。
そして認知症の老人のケアにやってきたヘルパーにも同じことが生じます。過去の姿は知らなくても、食事、排せつ、入浴などに関わる中で、同じ話を、頻回のトイレ行きを、入浴の拒否を訴えられて、提供サービスの完遂がままならず、ぞんざいな口調で接してしまう。
物理的に接することが避けられない場合、認知症の人とどんな関係性を築けばいいのか迷うでしょう。家族であれ専門職であれ、会話の結果の同意によって行動を決定する以上、成立しない会話、決定の延期、取り消しによって遂行を諦めることは、無力感と挫折感に自らの存在と責任感を揺さぶられてしまいます。声を荒げ、次第に認知症の人の持つ意思、決定権を見て見ぬふりし、行為遂行を目的化するようになりがちです。
ここまで来るとお互いに非常につらく厳しいため、なかなか抜け出せません。
認知症の人にとって、着替え、食事、入浴などの行為完遂はどれほど重要なのでしょうか。
「老人の発する罵倒、罵声、奇声、暴言、暴力などの「怒りの感情」は、老人が最後まで保持した感情です。身体がままならなくなり深い苦悩と葛藤を抱えると、「外向きの顔」を演出することも、感情の統制も、礼節にあった振る舞いも困難になる。「身体の自己制御を通じた社会との相互承認」を努力することはできなくなる。(天田城介「老い衰えゆく自己の/と自由」ハーベスト社)」
天田(中央大学社会学部教授)は深い苦悩の末に老人が発する「怒りの感情」は「外向きの顔」も「礼節にあった振る舞い」も困難になり「身体の自己制御を通じた社会との相互承認」を努力することも諦めた老人のなけなしの感情表現だと言う。
あれもこれもできなくなった老人の悲しみと悔しさは家族に向けて怒りの感情として発することがある。他の誰にもぶつけられず、いちばん身近な家族に向かうのです。そんな時家族はどうしたらいいのでしょう。それは、言いなりになるのではなく、対話の相手になる事です。無視せずゆったりと聞き役になり、意味内容がかみ合わなくても構いません。辻褄が合わない会話でも感情の交流は成立し、介護する立場というアイデンティティから解放されます。
「老い衰えることの根源的暴力性、ケアが内包する根源的な暴力性に必死の抵抗を試みつつ、世界と自分の折り合いを毎日繰り返し組み直す。老い衰える身体とは他者化する身体であり、昨日と違う身体で生きることを抗いつつも受け入れるということ。(天田城介「老い衰えゆく自己の/と自由」ハーベスト社)」必死の抵抗もむなしく、誰もが日々、昨日と違う身体を受け入れて生きることになる。昨日よりも時間がかかり、やがてできなくなることをいつか受け入れざるを得ない。
施設において、若いヘルパーを性の対象として振舞い(抱きつくなど)、中年ヘルパーから叱られると寝たふりする(ごまかす)。そのようにアイデンティティを使い分ける認知症の老人は、その環境にあわせて意図して振る舞いを変える。幼児化も親密さも無視も、その環境を受け入れざるを得ない老人のむき出しの表現、なけなしの抵抗なのだ。
「「何度説明しても同じことを繰り返す」老人を前にして自己のケアが「無意味なもの」に感じてしまい疲弊しきってしまうケアワーカーがいる。やがて「なぜそうするのか」と考えることから「どうやってそうした行為を統制するか」に思考が移行していく。やがてケアの課題として一般化されてしまう。(天田城介「老い衰えゆく自己の/と自由」ハーベスト社)」
排せつ介助、入浴介助を受ける時、秘して見せたくない身体を見せ、自分だけが裸にされてしまう。それを敢えて望むものはいない。今まで秘めていた身体を晒されてしまう、そのことを抵抗することもできない。ケアと言う名の暴力に羞恥心を取り上げられた老人にとって、その環境を受け入れるためになけなしの抵抗を繰り広げ、またそのことを揶揄されるのだ。
私自身も高齢者施設でヘルパー見習いを経験した時、認知症の女性の排せつ介助を経験した。彼女は恥ずかしいと言葉を発し、私はトイレに二人で入ることを詫び、下半身をむき出させることを詫び、用が終わるまで背を向けて待った。先輩ヘルパーからは詫びる必要はないと何度も言われたが、私にはそれはできなかった。
「子や妻や嫁が自ら進んで選択した介護であっても、日々の苦悩の中で「なぜ私だけが」という不条理に苦悶する。「家」的な家族観における介護責任に迫られ、意思に反した家族介護という営為を選んでしまう。「愛情、義務、絆」と「世間のまなざし」に抗えず、不条理に沈黙してしまう。(天田城介「老い衰えゆく自己の/と自由」ハーベスト社)」
「介護は家族がするものだ」当たり前の社会通念と考えられているこのことに異議を申し立てる。戦後の日本は都会に労働力を集中させ、田舎の大家族が解体され、核家族化が急速に進み、そのおかげで急速に消費経済が進行し経済発展を成し遂げた。三種の神器が各家庭で購入されれば家電メーカーが急成長し、マイカーブームが到来すれば自動車メーカーが急成長する。日本の経済成長を促したのは核家族化だった。しかしながら、核家族化は育児も家事も介護も嫁と妻にお任せという押し付けを進めた。育児と家事は早々に外部委託が可能になったが、介護が最後にやってきた。そして今、核家族での介護は破たんし始めている。
身体の不自由さが進行すれば自宅から施設へ、という図式は成り立つ。しかし認知症の介護は初期段階がもっとも負担が大きい。その段階に介護保険で対応できるサービスが無い。当然だ、「介護の社会化」のうたい文句で始まった介護保険の現実は「介護の商品化」になってしまっている。業者は客を選別できるので手のかかる認知症利用者を喜んで受け入れる訳がない。受け入れたとしても丁寧な対応は望めない上に、手のかからない認知症の人を選別するようになる。施設から断られた認知症の人は家族が引き受けるしかなくなるのだ。
認知症の人の症状は進行し、元には戻らない(ほとんどの場合)。ほどけてしまったアイデンティティは新しく作り直すしかない。失ったものとできなくなったことを受け入れて、ともに悲しむ。あなたと認知症の人との新しい人生の歩み方を探してみる。奇異な行動の理由を想像し、新しい暮らし方を手探りで作り出す。ひとりで、家族だけで解決しなくてよい。支援者を、協力者を一人づつつくり、少しづつ他者に手伝ってもらう。
認知症の人を受け入れるのは家族だけではない。社会も受け入れる努力が必要なのです、絶対に。